2008年7月24日 (木)

奈良に行った

7月15日に奈良に行ってきました.

目的は奈良国立博物館の「国宝・法隆寺金堂展」を見ること.

金堂の四天王像を,生でじっくりみるなんてめったにできませんからね.

でも,図録を買うと重くなるだろう,ということで,博物館は後回し.

とりあえず,「行ったことのない所に行きたい」と北の元明・元正天皇陵へ.

何年か前は,近鉄奈良駅の近くにレンタルサイクル屋さんがあった気がしたが,みあたらず.

自転車で1日回る予定だったのに,変更.

バスで天皇陵へ.交通機関を使ったのはここのみ.

これ以降は,夕方までひたすら徒歩.

歩くの大好き~♪だからね.

まずは,元正天皇陵.

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奈保山御陵バス停からすぐ.

山の中にひっそりとって感じですな.

古墳時代の「モニュメントとしての王墓」とはだいぶ違いますね.

元正は聖武天皇の伯母.在位715~724年.

『日本書紀』の完成や,三世一身法は,この天皇のときのこと.

つづいて元明天皇陵.

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間違い探しじゃないよ.

元正陵から東にちょっといったところに所在.

元明は元正の母.在位707~715年.

平城遷都のときの天皇.

天皇陵の正面には新しい住宅が並ぶ.

その住宅地を通り,坂を越え,般若寺へ.

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コスモス寺ともいうとか.

コスモスというと,イデオンのエンディング曲が思い出される.

が,歌詞が出てこない.

曲もサビしか出てこない.

このあと,しばらくサビだけを頭の中でオートリピート状態.

般若寺で叡尊像・忍性塔を見て,北山十八間戸へ.

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これ,中は公開してくれないのかね?

ちょっと疲れたので,脇の階段で小休止.

汗だく.

ペットボトルの自動販売機がそこらじゅうにあるというは,本当にありがたいことですな.

再び歩き出し,聖武天皇陵へ.

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さすがに場所を広く取ってありますね.

天皇の中でも五指に入る知名度.

入るよね?

つづいて光明陵.

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鎖があり,正面にはゆけないので,斜めから拝する.

それから,聖武陵の北東にある眉間寺遺跡.

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眉間寺は聖武陵に付随する寺とか.

礎石っぽく石が並んでいるけど,これ礎石かぁ?

少なくとも天平期の寺院の礎石には見えない.

加工はされているけど,石垣の石っぽい.

聖武陵からまっすぐ東へ向かい,東大寺転害門へ.

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一時期,野良猫被害が言われたが,今回は一匹も見られず.

作戦がうまくいったのでしょうかね?

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床の間じゃないんだから,ここまで節くれだった柱というのも珍しいんじゃないでしょうか.

造立当初からのものなのか?

ここから正倉院・講堂跡を経て,戒壇院へ.

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大仏よりも,ここの四天王像の方が好き.

というか,戒壇院の四天王像が仏像のなかで一番好き.

このあと,新薬師寺の十二神将を見たり,

法隆寺の四天王を見たりしたんですけど,

やはり戒壇院が勝ち.

参拝者が少ないので,じっくりと静かに拝することができるのも良い.

このあと,一応大仏を拝し,南大門を通って新薬師寺へ.

今回は三月堂の方へはゆかない.

続きは,また改めて.

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2007年10月21日 (日)

醍醐寺登山

先日,京都へ行ってきました.

1日目は鳥羽・伏見から醍醐へ.

醍醐が辛かった….

午後2時ごろ,醍醐寺を初訪問.

「上醍醐まで約1時間」と書いてある境内図を見て,数秒間考え込む.

どうするべきか.

往復で2時間.

4時には降りてこられるだろう.

次に来る時は,今よりも足腰が衰えているだろう.

いや,足腰が立たなくなっているかもしれない.

次来る機会すらないかもしれない.

ということで,門前の自動販売機でスポーツドリンクを購入し,入山.

人は余りいないと思ったら,ハイキングコースとして有名なのか,熟年・初老のハイカーの群れ.

修行の地とかそんなのは,もうどうでもイイのね,と思いつつ昇る.

初めて行く場所ってのは,ゴールが見当つかないもんでシンドイ.

昨夏に行った山形の羽黒山の石段とどっちがキツイかなぁ,とか,足をくじいて歩けなくなってる美女がいても,自分のことが精一杯で見捨てるだろうなぁ,とか考えながら昇る.

で,なんとか50数分で上醍醐到着.

一通りお参りをし,さて下山.

熟年男性2人組みが先を歩いており,その後ろをついてゆく.

後ろを歩きながら,「さっき来たとき,こんなロープあったか?」などと思いながら,2人組を追い越す.

歩けば歩くほど疑念がわく.明らかに登ってきた道と違う.

来た道は階段がちゃんとあったが,そんのがない.

結構なペースで歩いているのに,初老ハイカーたちに全く追いつかない.

もしや,さっき追い抜いた2人組みはタヌキかキツネか….

地図を出してみると,上醍醐への登山道は2つ.

どうやら遠回りのコースに来てしまったらしい.

いまさら引き戻すことは出来ず,観念して降りる.

が,キツイ.

道は,階段がないどころか,角度が急な坂道.

滑りやすく,2度,滑りかけた.

だんだん薄暗くなってくるし,人はいないし,こんなところで足をくじいたら大変.

杖になりそうな木を探しながら歩くが,みつからず.

ヒザがビキビキいっているのを何とか動かしつつ,下る.

降り始めて約1時間.

女人堂の西脇に出る.

無事生還.

お父さん,お母さん,日本の皆さん.僕は帰ってきました.御仏の御加護です.

真言密教のおかげです.ナウマクサマンダ・・・.

てなわけで,下山.

このあとも,朱雀陵・醍醐陵を回り,山科経由で京都駅へ.

駅内の薬屋で10枚入りのシップを買い,一晩で使い切る.

おかげで,次の日はかなり楽だった.

もう少し鍛えておかないとイカンなぁ.

おそらく,上醍醐に昇ることは,もう2度とないでしょうが.

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五大堂(重文)

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2007年8月 9日 (木)

将門終焉の地

昨日,ふらっと茨城県は坂東市へ行きました.

以前行ったのは10年ぐらい前かな.

人の車に乗って,人の案内で行ったのですが,

その時の資料を見ながら,今回は一人で.

国王神社や,その周辺をウロウロしました.

さて,将門は平貞盛・藤原秀郷に敗れ,首を獲られたわけですが,

『将門記』では,将門は辛島郡の北山に陣を張り,そこで敗れたと.

ありふれた地名なので,候補地はいくつもあるようです.

その候補地の一つに行ってきました.

それが坂東市辺田の北山の稲荷神社.

が,地図にも載らないような場所.

わからん.

ウロウロしつつ,通りすがりの人に何度か聞くもののわからず.

で,4人目の男性.

携帯ラジオで高校野球を聞きながら歩いている.

「すみません,このあたりにお稲荷さんがあるらしいのですが…」

「あぁ,将門のか?」と,なんと知っている.

好きらしく,結構詳しく,なんと案内してくれると.

いやぁ,これはわからないわ.

行ってみたい,という酔狂な方へ詳しく書いておきましょう.

辺田のファミリーマートまでは自力で行ってみてください.

で,ファミリーマートの裏側に細い舗装されていない道があります.

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ビバホームを背に,雑木林に向かってズンズン進むべし.

途中で,草木で道がふさがりますが,そこをズンズンと強行突破してください.

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すると,祠と碑があります.

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車が走ってる音とかが聞こえるんですけどね.

でも,忘れられた場所,という感じです.

蚊の群れがいましたので,今の時期は虫除け必須です.

いやぁ,それにしても運がよかった.

好きじゃなきゃ知らないよ,こんな場所.

感謝感謝です.

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2007年1月 8日 (月)

徳島の史跡探訪 その2

さてさて板東駅から東に向かって,テクテクと歩きました.

500メートルぐらいで光勝寺が見えたので,ちょっとお参り.

南北朝期のお寺なんですが,この境内から弥生中期~奈良時代の遺跡が発見されている,ということで寄ってみました.山と平地の境目にある遺跡.川があり,平地が広がり,なかなかいいロケーション.

で,また東に向かってテクテクと.

ひとりで歩いてると,だんだんペースが速くなってしまいます.まだ午前10時.体力を使いすぎちゃいけない.そんな時,ペースを整えるために「水戸黄門のテーマ」を頭の中で歌います.歌詞はうろ覚えですが,あの「じ~んせいらくありゃく~もあるさぁ~」のペースがちょうど良いんです.

062102 そんな感じで,1.5キロぐらい歩いて天河別神社古墳群に到着.写真は、池谷側から撮ったもの.トンネルの上の丘陵上に古墳が数基造られています.向かって左側,丘陵の南端に天河別神社があります.その社殿の脇から古墳群の中に入れます.前方後円墳とかも,なんとなくわかります.

062103 さらに東へ大麻中学の西側に宝幢寺があり,本堂の裏山に宝幢寺古墳があります.山というか丘ね.丘陵を利用した前方後円墳です.後円部には近世の五輪塔と卵塔が立っています.ここからの眺めも,なかなか良いね.やっぱり墓は,自分の支配地を見下ろす場所に作るべきだな.

それから,宝幢寺には萩原古墳群の石室が移築されてます.道路工事で破壊されちゃったらしいです.

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2006年12月29日 (金)

徳島の史跡探訪 その1

12月21日,徳島の史跡をめぐってきました.

前日は淡路島をレンタカーで回りましたが,この日は電車と徒歩.

泊まりは徳島駅前.8時すぎ,電車に乗り込む.

通学時間帯ということで,高校生の群れが凄い.

耳が壊れそう.

「私がみてるのに,おかあさんが亀田見るって勝手に替えるの!」

とかいう会話を聞きながら,板東駅に到着.

駅から徒歩で,大麻比古神社へ.

映画「バルトの楽園」で有名になったらしいけど,あたしは見てません.

そこかしこに「ロケ地」という旗が出ていました.

映画以前からドイツ館があったりしますが,

私は古代史屋なので,その辺はパス.

ちょっと時間に余裕がないもので.

で,大麻比古神社.

延喜式内社で,阿波国一宮.

最初の鳥居が見えたからすぐかと思ったのですが,なかなかたどり着かず.

徳島駅前から,神社まで来るバスもあったのね.

電車の方がはるかに安いだろうけど,

時間と労力的にはどうでしょうかね?

062101 で,お参りをして,拝殿の裏にある

ドイツ人捕虜が作ったメガネ橋やドイツ橋を見る.

おもったより小さいね.

奥の宮は,徒歩1時間半ぐらいと書いてあったので,パス.

板東から池谷へ向かう電車が,9時44分発なのでそれまでにもどらなくては,

とがんばるが,駅に着いたのは46分.

さて,次の電車は…11時半かよ.

2時間も待ってられない.駅前にタクシー屋さんがあるが,

池谷方面に向かって歩くことにしました.

ケチったわけではありません.

タクシーに乗っちゃうと,細かい古墳を見過ごしちゃうから.

池谷周辺は,古墳の宝庫.

本当は自転車があればいいんですけどね.

地図で見ると2~3キロぐらいなので,歩いちゃいました.

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2006年12月26日 (火)

ツインルームがご用意できました

一人旅を年に数回します.

泊まる場所はビジネスホテルかシティホテル.

まぁ両者の区別が良く分からないけど.

で,結構あるのがタイトルのようなこと.

「ツインルームがご用意できましたので,ごゆっくりおくつろぎください」と.

まぁそれで2人分の料金を請求されるわけじゃないので,

べつにいいんだけど,あんまり広すぎるのも落ち着かないんだよね.

シングルが満室でツインをあてがわれた,

というわけじゃありませんよね?

サービスなんですよね?

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2006年12月22日 (金)

淡路島の史跡探訪 その2

さて続き.

高速に乗って一気に南下して,

大和大国魂神社(南あわじ市榎列上幡多)へ.

淡路二宮.

一遍がここの境内で念仏踊したと.

見晴らしがよろしい.

国府・国分寺のある平野を一望できる場所.

おのころ島神社(南あわじ市榎列下幡多)は,

大きな鳥居が目印ですが,神社自体は小さい.

オノコロ島は,『古事記』でイザナギとイザナミが国生みをするときに作った島のこと.

神話上の抽象的な島であるが,

それを実際の小丘にあてはめたのがここ.

東南へ進み,淡路国分寺(南あわじ市八木国分).

現役の国分寺があり,一画に塔跡があります.

大日堂が建っていますが,基壇・礎石・瓦片を見ることができます.

ゲートボール場になっているところあたりが,金堂跡になるのか?

国分寺の西側の畑の中に国分遺跡があります.

寺の瓦を焼いた窯の跡.

瓦は登り窯で焼くので,大体は山の裾野にあるもの,

だと思っていたんですが,こんな平らな場所でも焼いていたとは.

しらんかったなぁ.

国分尼寺跡は,国分寺の北西にあるらしいのですが,

よくわかりませんでした.

畑の中の農道が,地図に載っている道なのか,よくわからないですよね.

このあたりは車で走るより,自転車で行ったほうが良いなぁ.

やっぱり折りたたみ自転車を買っておくべきかな.

三原川を渡って,事代主神社(市戎神社とも,南あわじ市市市)へ.

上記の所在地は誤植ではありません.

南あわじ市・大字市・字市,ということになるのかな?

国府の市があった場所という.

社殿は阪神淡路大震災後に建て直されたもの.

061220waka 神社から南にちょっといった畑の中に諾宮神社(南あわじ市市市).

神社と言っても,社殿はなく,小さな石の祠が4つあるだけ.

ここは,「国司館跡」と言われる場所.

淡路国府の所在地は不明らしいのですが,

地名や国分寺の位置から考えて,この周辺であることは間違いないでしょう.

住宅地になっているので,まとまった発掘が困難でしょうが,

今後に期待ですね.

事代主神社の北に,丘の松(南あわじ市市十一ヶ所).

これは陵墓参考地で,宮内庁管轄.

淳仁天皇の殯の地だとか.

さて,このあたりをウロウロしていた時間帯,

ちょうど小中学校の下校時間.

カメラを持って道を行ったり来たりするってのは,怪しいよね.

丘の松の西側の野辺の宮(南あわじ市市十一ヶ所).

ゲートボール場の北側に,小さいお社.

淳仁天皇がいた所だと云々.

宮の南側に惣社十一大明神(南あわじ市市十一ヶ所).

総社というシステムを初めてやった国司って誰なんだろう.

ズボラだが,勇気ある決断と言えなくもないねぇ.

「国衙」というところを通過しつつ,南へ.

ここに国衙があると,国府館とか国分寺から結構遠いぞ.

国衙領があった場所,と考えるのが自然か?

061220jun 淳仁天皇陵(南あわじ市賀集)へ.

結構小高い丘.

まわりが平地なので,ちょっと不自然.

古墳を天皇の埋葬地に再利用したとかかな?

その南に当麻夫人墓(南あわじ市北阿万筒井).

淳仁の母の墓.

ここも古墳っぽい雰囲気がありました.

さらにここの南にも小丘がありました.

そこには行ってないのですが,調査してみて欲しいなぁ.

ここで見学終了.

賀集八幡神社・西山北古墳にも行きたかったところですが,

日没サスペンデッド.

日が沈んだ後の神社・古墳は怖い.

というわけで,淡路島を去る.

カーナビにだまされたため,なかなか高速に乗れず,

山道をウロウロさせられる.

機械を信用しちゃイカンね.

やっぱり自力開悟で行こう.

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淡路島の史跡探訪 その1

12月20日に淡路島上陸しました.

羽田から徳島空港に行き,レンタカーにのって淡路へ.

徳島市内に泊まるので,北から順に見学してゆきました.

写真は,私のホームページ(http://homepage1.nifty.com/gyoudou/)に,

そのうち掲載します.年内にできるかな?

まずは,常隆寺(淡路市久野々)へ.

桓武天皇の勅願寺で,早良親王の霊を鎮めるために建てられたと.

けっこうな山の中.

対向車が来たら泣くにちがいない,というような細い道.

なんとかたどり着き,お参り.

奥の院までは行かず.

徒歩5分ぐらいというから,いけばよかったかな.

まぁ良いやと下山しようとすると,おばあさんが近づいてきて,

「山を下りるのなら乗せていって」と.

誰かが来るのを待っていたらしい.

で,ふもとの集落までタクシーをし,お礼にミカン3ヶいただきました.

061220つづいて,天王の森(淡路市仁井)へ.

看板などが出ていないので,わかりにくいのですが,

久野々から仁井へ向かって行き,

仁井小学校手前の三叉路のところにあります.

ここは早良親王が埋葬されたとの伝承地.

陵墓指定はされておらず,お社が建っています.

社の前の池は早良池というとか.

南へ下って伊弉諾神宮(淡路市多賀)へ.

国生みを終えたイザナギがここに隠れたという場所で,

淡路国一宮.

神宮の北1キロぐらいのところに郡家(ぐんげ)古墳というのがある,らしい.

場所が良く分からなかったので,パスしました.

そこの被葬者の一族の伝承が,

ヤマトの神話に取り込まれたということですかね.

そうそう,郡家という地名から分かるように,

この辺りに津名郡家があったと考えられています.

神宮の東には高島陵というのがあり,

早良親王,淳仁天皇の陵墓の伝承があると.

ウロウロしたのですが,場所が分からず,断念.

そうそう,神宮前で昼食.

開店して間もない様子の「オレンジりんご」.

淡路島に展開するお好み焼きチェーン,なのかな.

ごはん・みそしる・つけものなどはセルフ.

金バッチをつけて,店長さん(?)から「センセイ」と呼ばれていたおっちゃんが,

「おぼっちゃんだから自分で盛ったことなんかない」と笑ってました.

議員さまですかね?

長くなってきたので,とりあえず,ここで小休止しましょう.

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2006年12月21日 (木)

JAL名人会

1泊2日の旅,無事終了.

18時丁度に徳島空港を発ち,

21時半に帰宅.

徳島から家まで2時間半かぁ.

近いもんだねぇ.

史跡めぐりのとき,

いつも同じ旅行会社の出張パックを使っています.

ということで,いつもJALで飛びます.

去年か,いろいろとトラブル続出でしたが,

その期間もJAL使ってました.

で,そのJALの機内での楽しみが,

機内放送の「JAL名人会」.

1時間半ぐらいの演芸番組.

浪曲のときは,ちょっとなんですが,

今回は立川真司・大木こだまひびき・立川志の輔と,

笑い3本.

立川真司というのははじめて聞きましたが,

ゲーム電車でGO!で車掌の声をやっているとか.

「小田急の自動音声」を断ち切ってしゃべる車掌とかは,

思わず噴出しそうになりました.

これから小田急に乗るたびに,

「所沢の小手指から来た黄色いヤツ」を思い出しそうだ.

まぁそんなこんなで,1時間ちょっとの飛行時間は,

ずっとニヤニヤしてました.

帰りも同じ番組でしたが,ニヤニヤしてました.

私はラジオっ子なので,映像を見なくても笑える,

言葉・会話で笑わす芸が大好き.

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2006年12月14日 (木)

淡路&阿波国へ行きます

来週,20-21日に淡路島&阿波に行ってきます.

淳仁天皇陵と観音寺遺跡が目的.

それ以外は色々検討中.

徳島の県立か市立の博物館は当然いくかな.

「ここは見ておけ」「これは食べておけ」という情報を,

懲りずに今回も募集.

徳島まで飛行機で行き,レンタカーで淡路島にいきます.

淡路島は,1日でどのぐらい回れますかね?

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2006年8月31日 (木)

会津に行ってきました

昨日・おとといと福島は会津若松に行ってきました.

会津盆地は古墳が結構多いところ.

とくに,会津坂下の杵ガ森古墳は,いまのところ東北地方最古の古墳.

奈良の箸墓古墳と同型で,規模は6分の1.

古墳時代初期の4世紀初頭に,

この辺りの首長がヤマトの大王と友好関係・同盟関係を持っていた証拠です.

会津坂下には亀ヶ森古墳というのもあります.

これは県内第1位大きさを持つ古墳.

さらに会津若松市の会津大塚山古墳から仿製(日本製)三角縁神獣鏡が出土.

同笵鏡(同じ鋳型で造られた鏡)が岡山の古墳からも出土しています.

ヤマトで造られた鏡が,同盟の証として各地に配られていたのです.

ということで,古墳スキにはたまらない場所だったりするのですが,

やはり,会津といえば白虎隊なんですよね.

飯盛山にはお客さんが沢山いましたが,

古墳には全然人がいません.

まぁ,古墳が荒らされなくってイイかね.

ところで,飯盛山.

5・6年前にも来たのですが,

なんか白虎隊グッズよりも,新撰組グッズの割合の方が大きくなってません?

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2006年8月15日 (火)

東大寺戒壇院

先日,奈良に行ったときに,東大寺にも行った.

転害門から入って,戒壇院へ行き,大仏殿を通り過ぎて,三月堂へ,

というルートで回った.

それにしても,戒壇院へくる人の少なさよ.

大仏をみるのもいいけど,戒壇院も見てよ.

戒壇院の四天王像は,天平期に限らず,

日本にある数多くい仏像のうちでも,最高の作品だと思います.

須弥壇の前側に立つ増長天と持国天は,

ともに武器を持ち,目をひんむいてにらみつけている.

対して,奥に立つ多聞天と広目天は,

武器を持たず,目を細めにらみつけている.

一体一体の出来もすばらしいが,

この四位一体攻撃にはゾクゾクくる.

てなわけで,戒壇院も行ってください.

別料金だけど,それだけの価値はあるはず.

大仏みて「おっきぃ~」と言うのもいいでしょう.

でも,デカけりゃイイってもんじゃない.

硬さと持続力,じゃなくって,

まぁなんだ,四天王見てくださいよ.

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2006年8月10日 (木)

奈良市内漫遊

大安寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡、平城天皇陵、コナベ・ウワナベ古墳、海竜王寺、法華寺、東大寺、春日大社を見学。
歩いたぁ〜。焼けたぁ〜。日焼けするとレーガン大統領みたいな顔に…。
ともかく、ぼちぼち帰るとするかな。

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2006年8月 9日 (水)

飛鳥漫遊

飛鳥漫遊

今日は飛鳥を自転車で回遊。大学4年の夏に来て以来だから10ん年ぶり。
以前は見なかったキトラ古墳や、存在を知らなかった植山古墳を見ました。
詳しい話しは、帰ってから書きます。
とにかく、暑かった。帽子を深くかぶって、首はタオルでガードしてましたが、腕が真っ赤。元々私は小麦色のマーメイドなんですが、さらに磨きがかかった感じ。
今日は奈良市に宿泊。明日は平城京跡を回遊します。
写真は高松塚古墳の現状。なんかの工場みたいだ。

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2006年8月 8日 (火)

吉野に行きました

吉野に行きました

奈良の吉野へ行ってきました.後醍醐天皇陵と金峯山寺を参拝.
下山したのち,ホテルに行くのは,やや早い.というわけで五位堂まで行って牧野古墳を見に行く.
これは舒明天皇の父の押坂彦人大兄皇子の墓と考えられている.夕方の古墳は薮蚊天国だった….
写真は古墳の石室.

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2006年7月30日 (日)

信越羽紀行その10

7/22(土曜)の続き

つづいて,国分寺薬師堂へ.

ここは,出羽国の国分寺を移したものらしい.

国分寺は,大体国府の近くにあるもの.

国府・国分寺の最初の土地は不詳.

出羽国は,徐々に開発されていったところなので,国府は転々とした.

薬師堂から馬見ヶ崎川を渡って印鑰神明宮へ.

印は,国司の印.鑰は,国府の蔵のカギ.

国府にとってとっても大事なモノ.

その印・鑰を収めた殿舎は,後世に神聖化されて神社になっていることが多い.

「印鑰神社」がある周辺に国府があるものだ.

山形市に国府があるはずナイので,

おそらく国分寺を移したときに,一緒に印鑰社も来たんじゃないかな?

伝承では,大野東人(8世紀前半の鎮守将軍)が造ったとあるけど,

これはちょっと信用できないね.

さてさて,これで山形市街ともお別れ.

郊外の大ノ越古墳へ.

5世紀後半の円墳.規模は小さいけど,副葬品が豊富.

さらにその南方に下って,菅沢古墳.

時期は同じく5世紀後半.規模は,こちらの方が段違いに大きい.

この両者の関係は,どうなんだろうなぁ.

円墳だし,このあたりには国造はナイから,

ヤマト直属ではない小首長なんだろうけど.

てなわけで,古墳でぼ~っとイロイロ妄想した後,

帰途に着く.

午後1時半ごろに山形蔵王インターから高速に乗り,

9時少し前に自宅に到着.

途中で疲れて,栃木辺りで泊まっちゃおうかと思ったりしましたが,

演歌・歌謡曲を熱唱しながら帰ってしまいました.

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2006年7月28日 (金)

信越羽紀行その9

7/22(土曜)

朝食はホテルの和定食.

サラリーマンの集団と相席になる.

「昨日のサイレンは何だったの?」

「何か前に数台きてましたよ」

などと話している.

サイレン?

全く知らんぞ.

泥のように寝てたのね私.

そういえば,数年前にどっかで泊まった時,

非常ベルが鳴り,避難する夢を見た.

実際に非常ベルが鳴っていたらしい.

「くりかえします.ただいまのは,誤報で問題ありません」

という館内放送で目が覚めた.

私は,間違いなく逃げ遅れるな.

そのようなことがないように,祈るばかりだ.

さて,8時ごろ出立.

まずは霞城公園(山形城).

公園内に,県立博物館と山形市郷土館がある.

0722saiseikan まずは郷土館へ.

明治時代の病院.

郷土館になっているが,医療関係の展示品が並ぶ.

ボクは文系なもんで,内臓とか苦手なんすよ.

まぁ,でも洋館ってイイよねぇ.

明治大正期の和洋折衷の洋館建築とか,文化住宅とかスキです.

つづいて,県立博物館へ.

う~ん,古いタイプの博物館ですね.

いま山形城の再建をしてるところなので,

それが終わってから,博物館の再構築をするんでしょう.

戦国モノとしては,最上義光歴史館が公園の近くにあるし,

近代モノとしては,済生館と後述する文翔館がある.

ちょっと分散しちゃってるねぇ.

20年か30年後には,再構築するんでしょう.

つづいて,文翔館へ.山形県郷土館である.

ここは旧県庁舎・県会議事堂で,大正時代の洋館.

外側の工事中で,写真ナシ.

ギャラリーでは,山形西高校の文化部の作品展があった.

写真・手芸・クッキング・美術部.

なかなか上手.

女子高で写真部があるってのも珍しいのでは?

受付をしていた女子高生と少しお話をする.

現役女子高生とお話しするなんて緊張するねぇ.

自分のところの生徒は,別ね.

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信越羽紀行その8

7/21(金曜)の続き

飛鳥神社から最上川を遡るように南下.

連日の大雨で,濁流が轟々と流れる.

最上川橋という幅の狭い橋を渡る時は,ちょっと怖かったよ.

その後は順調に進み,雨も止み,羽黒山へ.

出羽三山神社を参拝.

0721isidan 裏から車で登ってしまわず,男らしく石段を登る.

2446段.

一の坂,二の坂,三の坂と急な石段が3つあり,

二の坂を登りきったところにお茶屋がある.

ちょっと休憩し,お餅と抹茶をいただく.

0721nintei そこで,市長名の記された石段踏破の認定証を頂く.

どれくらい歩いたんでしょう.

11時前に入山し,上の社殿についたころにはお昼になっていたなぁ.

1時間も歩いたのか?

ちゃんとメモしておくべきだったなぁ.

ともかく,しばらくは筋肉痛.

石段は,急な上に,幅が狭い.

わたしは「バカの大足」なもので,足が石段に乗り切らない.

1段の高さも微妙に低く,1段づつ登ると,

足をセコセコ動かさなくてはならずキツイ.

かといって,1段飛ばしにするには,こちらもキツイ.

そうそう.

0721tengu 石段には,なにやら絵や字が彫ってある.

すれ違った人によると,瓢箪の絵が33ケあるそうだ.

2個しかわからなかったが.

写真は,わりと入り口近くの天狗.

出羽三山の合祭殿にお参り.

これで湯殿山・月山もお参りしたことになる.

めでたしめでたし.

てなわけで,今回は湯殿・月山に登るのナシとしよう.

それから,歴史博物館を見て,蜂子皇子の墓へ.

蜂子皇子は崇峻天皇の皇子.

天皇が蘇我馬子に暗殺された後,難を逃れてここまで来て,

修行をして霊山を開いたとか.

歴史博物館に,蜂子皇子(能除太子)像がいくつかあったが,

もはや人間の顔をしていない.

イロイロ大変だったのね.

『日本書紀』に蜂子皇子のことは,名前だけしか出ておらず,

なぜ羽黒山と結びついたかは不明.

歴史博物館の脇で,昼食のパンをかじり,下山.

そうそう,合祭殿の脇でお守りを売っていたが,

そこの巫女さんが美人でした.

でも,ちょっと目が大きくて現代風.

巫女さんは,もっと和風な顔が…,

独身男の一人旅なので,ついついそういうところに目が行ってしまうのよ….

ともかく,無事下山.

汗ビショビショ.

車の中で着替えるが,すっきりしない.

地図を見ると,羽黒山の5キロほど西に

「やまぶし温泉ゆぽか」なる日帰り温泉施設がある.

おじいさんたちで満員の風呂で汗を流す.

大きくはないが,サウナと露天もアリ.

で,すっきりしたところで,山形市に向かってゴー.

霧が出ていたり,雨が激しかったり,片側交互通行だったり,

なかなか走りづらかったけど,無事ホテルに到着.

ホテル名は書かないけど,

今回の3泊の中で一番グレードが低い.

何泊もする場合は,徐々にグレードを上げていかなきゃいけないのに,

疲れのたまった最後に,足の伸ばせない風呂はイカンなぁ.

まぁ,今日は「ゆぽか」で休んだからいいけどさ.

次回以降は気をつけよう.

夕食は,山形駅の売店で買った駅弁.

ホテルの周りは歓楽街だが,オールスターを見つつ,10時前に寝てしまう.

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2006年7月27日 (木)

信越羽紀行その7

7/21(金曜)

鶴岡ワシントンホテルの朝食はバイキング.

和食方面が豊富だ.ということで,あえて洋食にする.

8時ごろ出立し,9時前には酒田市の城輪柵(きのわのさく)跡へ到着.

9世紀ごろには出羽国府として機能していた官衙遺跡.

南門と東門が復元されている.

小雨が降る中,ウロウロ.

昨年,秋田市の秋田城に行ったが,そちらとは様子が異なる.

秋田城は,小高い丘陵上に置かれていた.

対して,城輪柵は平地にある.

秋田城は,港からも近いが,

城輪柵は海岸線から5キロほど中にある.

当時の海岸線は,もう少し内側だったのかな.

ここに作った理由があるはず.

さて,なんでしょう?

「バカだからわかんないやぁ~」と,だれもいない史跡公園でつぶやき,

柵の西にある堂の前遺跡へ.

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ここは,看板が一枚あるだけで,

何がなんだか分からない.

城輪柵に関係する官衙らしい.

『新版 山形県の歴史散歩』(山川出版社,1993年)には,

出羽国分寺の可能性が書いてあるが,

説明板は,そのことには触れていなかった.

さらに西へ行き,山と平地の境にある市条八幡神社へ.

市条は一条.

城輪柵を基準に,条里制を敷いていたのでしょう.

この八幡から東に入ったところに八森遺跡がある.

これも官衙遺跡.

城輪柵が水害にあい,国衙機能を高台に遷した,らしい.

そこから,ほぼ真南へ7、8キロほど下り,飛鳥神社へ.

最上川に近く,飽海駅はこの辺りだったようだ.

飛鳥神社の北には郡山という字名があり,

飽海郡の郡衙が置かれていたらしい.

けっこう,この辺りには遺跡が多いとのことだが,わからなかった.

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信越羽紀行その6

7/20(木曜)の続き

緒立遺跡を出たのが15時ちょっと前.

ここから,今日の宿泊地の山形県鶴岡市まで,ひたすら移動.

高速道路が貫通していないので,

ひたすら国道7号を北上.

7号は,山の中を走り続けた後,海辺の道へ変る.

ギラギラのいい天気.

なかなか爽快.

どっかに「夕陽の町」とか何とか書いてあったが,

日没まではまだ時間があるし,

ハンドル操作を誤ると海に落ちゃいそうな感じなので,

日が沈まれると困る.

てなわけで,さっさと通り抜ける.

鶴岡駅前の鶴岡ワシントンホテルに到着したのは,17時ごろ.

新潟から3時間近くかかってしまった.

最近は,コンビニがどこにでもあり,

さらにトイレが使えるから便利だねぇ.

この日の夕食は,ホテル近くのショッピングモールで買ったパックのお寿司.

外に食べに行くのが面倒だったので.

先日紹介された「だだちゃ豆」は,見当たらなかったので,

とりあえずだだちゃ豆のお菓子を購入.

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2006年7月26日 (水)

信越羽紀行その5

7/20(木曜)の続き

10時すぎには弥彦神社を出て,北上.

岩室温泉を通過して,西蒲原郡巻町へ.

金仙寺の裏手にある菖蒲塚古墳へ.

前方後円墳で,高志深江国造のものでしょう.

日本海側では最北端の前方後円墳.たぶん.

江戸時代に大型の銅鏡が掘り出されたとか.

この日は,墳丘上の木の伐採を行っており,墳丘には登れず.

ついで,新潟市に入り,市立歴史博物館へ.

渟足柵は,この辺にあったのかなぁ.

博物館で,市内に緒立遺跡・的場遺跡という官衙遺跡の存在を知り,

そちらへ向かう.

緒立遺跡にある緒立八幡宮は円墳の上に建つ.

よくあることですな.

縄文後期から連続する遺跡ということで,

この辺りが,一大中心地だったのだろう.

他の地域だと,古墳とか官衙とかは,

ちょっとした丘の上にあったりすることが多いので,

なんか,まっ平らな所に,そんなものがあるなんて,

ちょっと落ち着かない….

昔は,微高地だったのだろうか?

古墳は削られて,非常になだらかな丘になっている.

言われなきゃ古墳と気がつかないだろう.

神社のあるところが,他の地面よりも微妙に高くなっている場合,

かなりの確率で,それは古墳です.

神社じゃなくても,ちょっとした祠の場合でも.

みなさんの家の周りに,そんな神社ありませんか?

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信越羽紀行その4

7/20(木曜)

7時にホテルで和定食を食べ,8時には出立.

燕市の西,弥彦村の弥彦神社へ.

上越市のパンフには,前日の居多神社が「越後国一ノ宮」とあるが,

弥彦神社のパンフにはこちらが一ノ宮だと.

まぁどうでもイイや.

規模は,弥彦神社の方が段違いに大きい.

まずは,拝殿にお参りし,ロープウェイで弥彦山の頂上まで昇る.

ロープウェイは始発に乗ったため,お客は私一人.

若いかわいらしい女性の車掌さんというか,ガイドと個室で二人っきり!

これは,昨日の縁結びの神,居多神社のご利益に違いない!

と思ったのですが,二人の間に愛は芽生えませんでした.

先例に基づいて,

「横浜に来る時はワシに連絡したまえ,悪いようにはせんからイッヒッヒッヒ・・・」

と言ったのですが,反応ナシ.

彼女が故実に通じていれば,そろそろ大荷物を持って私の職場に現れ,

「ちょっとちょっと,ここに来たら困るよチミ~」

となるはずですが….

ともかく,片道約5分のランデブーの後,頂上へ.

そこから少々ハイキングして奥の宮(御神廟)へ.

この日は,雲もあるものの,晴れ.

梅雨明けのようなギラギラの太陽.

汗かきながら,ハァハァ言いながらがんばりました.

奥の宮は,なかなかの眺望.

しかし,越後平野は平らだねぇ.

平野だから当然だけど.

「稲作が始まる前は,どういう景色だったんだろうか」

「稲作をする人々が,ヤマトの人々がここに来た時,どう思ったんだろうか」

そんなことをイロイロと想像しつつ,しばらく逗留とした.

ロープウェイで下山後,宝物館へ.

刃物は怖いからスキじゃないんだが,

2メートル以上の太刀ってのは,でかすぎて何か笑ってしまった.

そうそう.

弥彦山は,この辺では一番高いということで,

テレビ・ラジオの電波塔が一杯立っている.

テレビ・ラジオの恩恵を蒙っている以上,

霊山への冒涜!なんてことは言わない.

でも,なんか地球防衛軍とかの基地みたい↓

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信越羽紀行その3

7/19(水曜)の続き

宿泊地は燕三条ワシントンホテル.

私は,一人旅の時はビジネスホテル専門.

ホテルは,サティとくっついている.

駐車場も,サティと兼用.

24時間出入りができる野ざらしの駐車場に,

我が愛車を放置するのは,心もとないが,仕方あるまい.

何もなかったし.

夕食は,サティにくっついているお蕎麦屋さん.

食後,サティで翌日用の飲み物とかを購入.

私はお酒を飲まないし,知らない人と話すのは得意ではない.

てなわけで,夜の街に繰り出すこともせず,10時ごろには寝てしまう.

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2006年7月25日 (